gannenの3文以内にまとめる日記

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隠語としての「ガチャピン」Vtuberとは何か? あるいはVtuberでガチャピンが嫌われている理由

あるVtuberが「ガチャピン」と言われてるのはどういうことを指すか

【記事要旨】Vtuberの世界で「ガチャピンといって、あのポンキッキーの世界の緑色のキャラクターではなくて、例えば、声を当てる人と動画の中でゲームをする人が違うようなタイプのVtuberを指すことがある。3Dならば演技する人と声優が違うようなもの、あるいは歌う人と踊る人が違うようなものも言うのだろう。要は、中の人がやることによって変わる、特に何かが得意な人が寄り集まって一人のキャラクターを作るようなものをいうのだ。これは、もともとのガチャピンが番組内でスポーツの上手さを発揮する企画をよくやっていたのだが、きぐるみの中身の人がスポーツに応じて切り替わっていたことに由来している

 

そもそもガチャピンとは?

ひょっとしたら若い人がまず「ガチャピン」の本来の姿を知らないかもしれないので説明すると、子ども向け番組に出てくるキャラクターで、赤いムックというやつとセットになって出てくるものだ。(以下サムネ参照)

 

www.youtube.com

 

で、番組の中で、ガチャピンはよくスポーツにチャレンジしていた。(イッテQとか、あとアイドル番組の◎◎チャレンジみたいな回を想像してほしいが、馴染みのキャラクターや芸人が何かを頑張って達成するのを見るが好きな人というのが今も昔も老いも若きもいるのだ)どれもめちゃくちゃ上手くて、ムックがびびるという流れがお約束だ。冬はスキー、スノボ、季節を問わず球技だのクロスバイクだの何でもやる。ガチャピンは運動神経抜群ですごい!

このトリックは、毎回きぐるみの中の人がプロかそれに近い人だということである。きぐるみだからこそできる仕掛けで面白い仕組みではないか

ポンキッキの対象年齢は幼児を含むからこれに気づくのは結構長じてになるか、ひょっとしたら気づかぬまま深く考えず、この仕組みに思い当たらない人もいるかもしれない

 

本物のガチャピンのことが分かれば、どういうことかはわかる

これに擬えて、例えばゲームがうまい系Vtuberが、プレイする人と実況する声優を分けていることをガチャピンと言う訳だ(色んな応用があると思うが、昨今私が見かけるのはだいたいこれだ)

 

先のサムネでわかるように、本物のガチャピンさんがVtuberデビューしてしまったので、案外事情が分からない人はこの一種の隠語が何を指しているのか、一層検索しにくくなったのかもしれない

 

以下雑記記事、Vtuberガチャピンが嫌われている理由

ここまでで「ガチャピン」の解説記事は終わりで、本来のちょっとした気付きみたいな記事に戻る。

 

さて、5chなどで見ている範囲では、Vtuberのことをガチャピンということは比較的ネガティブなニュアンスを持っている

 

が、本物のガチャピンは別にキャラクターとして損なわれてはいないし、一般にオタクに大人気のキャラクターというのは、イラストや脚本や実際にアニメを作る人や声優やで分業されて作られているので、これはまあ自然なこととも思えない

 

要するに、歴史的偶然というか、登場の順序の問題で、最初からガチャピンが多ければ違和感は無かった気もする

 

いまのVtuberブームは、去年末、ねこます=のじゃろり狐耳娘Youtuberおじさんがバズったことに端を発している。彼はバイト生活の中で自習し作り上げた自作のモデル、自作プログラム、そして自分の声を持って登場し、そのギャップで大人気を獲得したが、バズの後半では、その一種のシンデレラストーリーごと受け入れられたところもあるのだろう。Vtuberブームの端緒に、そういう「中の人頑張ってる神話」みたいなものがあったのだ

 

歴史的経緯以外の普遍的な理由もあるのかもしれない

一般論として、創作は割と創作者ごと消費される

マスメディアが著名な、例えばノーベル賞をとったような科学者の発見・研究内容やスポーツ選手の競技内容そのものではなく、その私生活に取材することを、ネガティブに言う意見を俺はしばしば見かける。重大事件の犯人の報道とかもこういう話がよくある

が、創作においては、この創作物と創作者をめぐるストーリー2つがごちゃまぜにされて楽しまれることについて論争になっているところはあまり見かけない。(あるとすると、創作者のTwitterを見ないほうがいいみたいなタイプのやつか……これは定期的に出るな……)

それだけ結構強固な見方なのだろう(文学研究でも、手紙とかを掘り起こして私生活についての情報と作品を重ね合わせていくタイプの研究もあるわけだし、純文学の新人賞などでも、しばしば執筆者のプロフィールと作品の結びつきが取り上げられる)

 

創作においては、出てきたものがよければよい、という訳ではなくて、その背後のストーリーも楽しみたい、という訳だ。よしあしはないと思うが、単に貪欲な態度であるなと思う。Vtuber側もそれを利用しているタイプもいるし(積極的に中の人の過去の話をするとか)、そうでないこともある。

 

のじゃろりおじさんにインスパイアされた個人Vtuberが一気に増えた年初とは違い、いまや企業がコントロールしていることがわかるVtuberもたくさん出てきているのだが、もともとのそういう雰囲気が今でも残っているのかもしれない

 

つまるところ、既にたくさんいる他の子が、下手でも自分でゲームをやっているに対して、ガチャピンは何かずるをしている感じがするのであろう

 

多くの人気Vtuberのキャラクターデザインは別の人が描いているのだから、それが問題視されないことと整合はしないのだが、絵を描く能力に比べて、ゲームの上手い下手というのは、視聴者にとって身近な、本人の頑張りでなんとかなるものだと思われているからなのかもしれない

 

逆に、このムードに適合するあり方に見えるのは、メインのVtuberと、「運営」の代表であるようなサブキャラを配置するようなVtuberだ。(多くの企業系のVtuberは「運営」が企画を考えているのだろうが)それを無理やりVtuber自身が考えていると言うと「嘘」になってしまう。そういう側面を避けているのかもしれない。俺は別に運営とキャラの関係がどうなっていてもいいが、偽春菜みたいな塩梅になるこういう子たちが好きだ。ちゃんまり、葵ちゃん、yuniちゃん……。

 

 

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 

 ※案外検索流入があるので、多分Twitterとかまとめサイトとかで「ガチャピン」という言葉出てきて分からない人が検索していると想定して記事を直しました。が、どのVtuberガチャピンかどうかとかは知り得ないことなので、例示はありませんのであしからず(2018/10/14)