gannenの3文以内にまとめる日記

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アリストテレス思想への入門書と主要概念・主要著書について

アリストテレスの思想・概念をチャート式で知りたい

 

 

 

アリストテレス(Aristotle)の主要著書を英語と日本語で

MITに一通りの著作の英語版が収録されているようです

The Internet Classics Archive | Browse

http://classics.mit.edu/Browse/index-Aristotle.html

 

ギリシア語原文もネットにあるようです(全く読めないですが)

Perseus Search Results

質量と形相と四原因説(『形而上学』『自然学』)

 

四原因説 - Wikipedia

■四原因が列挙出来ること。典型的な説明がセルフで出来ること

4原因は以下です。

  • 質料因(羅: causa materialis)
  • 形相因(羅: causa formalis)
  • 作用因(羅: causa efficiens)
  • 目的因(羅: causa finalis)

wikipediaには焼きそばの例という大変シュールな例が出ていますが、原典に典型的な説明があり、どの場所でも同じように引用されるのでそれを引っ張っておきましょう。

不動の動者、第一原因、哲学者の神の議論はここから出てくるので、一体として頭に入れておく必要があるでしょう。

可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)・完全現実態(エンテレケイア)

英語だとpotentialityとactualityですね。ただ、カタカナ語のアクチュアリティは「今どきって感じ」みたいな意味であって(このテーマを取り上げることにアクチュアリティはあるのか?=そのテーマって今じゃなきゃ感ってあるの?)、全然違う意味になっています。

ポテンシャルという言葉は、「潜在力」というような意味ですから、まだ近い意味が残っているかなとは思います。「あの野球選手にはまだポテンシャルがあるはずだよ」みたいな。

デュナミスがdynamicと同源なのがまずわかりにくいなと。しかも英語にするとpotentialです。

potentialという単語は物理で出てきますね。位置エネルギーのことです。そうすると、dynamicsが力学であることも思い出せるでしょう。

が、エネルゲイアはenergyと同源ですから、位置エネルギーとエネルギーは違うというような言葉遣いなわけです。普段使っている単語と結びつけるのは無理があるでしょう。

実は重さや軽さについてはデュナミスと捉えていたような話が『天体論』にあるようですが、そっちは枝葉末節として、素直な定義の方を英語で確認してみましょう。

Dunamis is an ordinary Greek word for possibility or capability. Depending on context, it could be translated "potency", "potential", "capacity", "ability", "power", "capability", "strength", "possibility", "force" and is the root of modern English words "dynamic", "dynamite", and "dynamo".[5] In early modern philosophy, English authors like Hobbes and Locke used the English word "power" as their translation of Latin potentia.[6]

Potentiality and actuality - Wikipedia

まず、デュナミスというのは、一般的に使われる「可能性」や「能力」を表すギリシア語であると。これはまあ何を読んでもそう書いてあります。

しかし、注目したいところとして、ホッブズやロックは「パワー」をポテンシャルの意味で使ったとあります。

「パワーがある」というのは状態だし、たしかにポテンシャルだと思います。powerfullnessというか。しかしpower=potentialというと、もう混乱が始まっている気はします。「私にはパワーがある」という言い方が第一義的に思い浮かべられるべきということでしょうか。

ロックのpowerについて少し掘り下げます。

 

https://web.ics.purdue.edu/~mjacovid/Construction.pdf

 

パワーはフランス語だとpuissanceです。ピュイサンスと言えば普通「強度」と訳します。(「この表現には強度がある」とか。文芸批評などでいつでも出てくるんじゃないかと思います。文学的な場合、基本的には「力がある」と文字通り捉えて問題は出ないと思います。で、それはポテンシャルがあるという意味かというと、よくわからないですね。)

フランス哲学でピュイサンスで言えば、私はドゥルーズを思い出します。ドゥルーズで言う潜勢力というのはピュイサンスだそうです。だからpowerとデュナミスを通じて完全にアリストテレス的な意味ですね。

以下いささか細かい議論になるが、邦訳『「知」の欺瞞』p206の原注(197)で指摘されたドゥルーズの『哲学とは何か』におけるカントル論の箇所で、私はフランス語《 puissance 》をピュイサンスというルビをふって「濃度」と訳した。当たり前の訳し方である。また《 puissance du continu 》を「連続体の濃度」と訳しておいた。(ハードカバー版p171、 文庫版p204)『「知」の欺瞞』の訳者らは、拙訳の頁数を挙げているのだから、当然拙訳のこの部分を読んでいるはずだ。

他方、すでに『差異と反復』でも《 puissance du continu 》というフランス語が使われており、ここではそれを私は「連続体の力=累乗」と訳した。つまり、《 puissance 》を数学用語「濃度」ではなく「力=累乗」というドゥルーズ用語として訳した。(ハードカバー版p85、 文庫版p138)

財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー 『差異と反復』読解再開1

『差異と反復』の訳者による改題というか、訳文の検討がWEBにあります。(ここでは『「知」の欺瞞』との関連で出てきているのですが、その文脈はおいておいて)ここでいうpowerは

英語のpowerと同様に、フランス語のpuissance は日常的な意味での「力」などのほかに、数学では「べき乗(累乗)」の意味と集合論での「濃度」の双方の 意味で用いられる。」

わけです。もうこうなるとアリストテレスは関係ないと思ったほうがよいでしょう。(このブログ内ではニーチェの「力」を参照しているだろうということも言われています)

 

差異と反復 上 (河出文庫)

差異と反復 上 (河出文庫)

 

 

「潜勢力」で検索したら出てきたアガンベンの本も(私はイタリア語はわかりませんが)、イタリア語を見ると、potentiality of thought(フランス語のponserっぽい動詞が書いてあって、邦題が「思考」なのでそうなのでしょう)という感じの訳のようですね。

 

思考の潜勢力 論文と講演

思考の潜勢力 論文と講演

 

 

ジョルジョ・アガンベン(1942-)が『ホモ・サケル』においておこなった一連の分析は比較的よく知られている。すなわち、ローマにおける法[ノモス]の例外者たるホモ・サケルをはじめとする一群の例外者たちが、「非の潜勢力」として排除されることによって、ノモスとその外たるピュシスとを逆説的に関係させる「閾」として機能し、ノモスの領域が設立される。この結節点をつうじてピュシスによるノモスの侵犯と更新、いいかえるならば絶えざる外の内部化としての「潜勢力の現働化」が駆動することで、法秩序と暴力との共犯関係が維持され続ける、といった分析である。

研究発表3 | 第12回研究発表集会 | Conventions | 表象文化論学会

ホモ・サケル(聖なる人、ですが、生贄ですね要は)というのは、まず端的に普通に歴史的な事実として、法の外に置かれた人のことを指しています。日本の歴史でも当然被差別民はいますし、「聖なる」という意味で、法の外に置かれている人として、選挙権や名字がない天皇という存在がいるので、分かりやすいでしょう。

そこから先は、ある意味フーコー的な、「精神病院ができ、精神病者が作られることで、近代国家にとって都合のよい「正常者」が作られるんだ」というようなロジックを、 近代に特有といった感じではなくて、法秩序一般について語ったものです。

社会契約論(あれも、社会の成り立ちについて、(事実というよりは)仮説的なワンシーンを置いて、社会の性格のある一面を浮かび上がらせるものなわけです)のフーコー版みたいな本ですね。

まあそれは余談として、「潜勢力の現働化」ということですから、potentialityがactualizationされるという関係は生きていますね。

 

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

 

 

 

https://plato.stanford.edu/entries/deleuze/

 

ニーチェの力は「Macht」ですが、アリストテレスの2つの力の項目をwikipediaで見ると

Akt und Potenz

となっていて、ある意味では違うことは明確ですね。

„Potenz“ bezeichnet die noch nicht realisierte Möglichkeit,

「可能態」とは、いまだ実現されていない可能性を表す

Akt und Potenz – Wikipedia

巡り巡れば、これもデュナミスと言い得る訳ですが、非常に問題含みな単語だと思います。

 

記事を書いた個人的なモチベーション

スコラ哲学への関心

「暗黒の中世」として軽視されていたことへの反動か、最近発売されている『世界哲学史』シリーズなんかでは、非常にスコラ哲学を重視しているようです。

 

 

カントなんかも、講壇哲学(ドイツのアリストテレス主義)とイギリス経験論の総合者というような評価もあり、結局近世哲学をやるのにスコラ哲学の話になるようです。

で、スコラ哲学は何はともあれアリストテレスの注釈をやっているということで(というのは、当時の大学で、神学部があって、論理学部があって、というような分担があり、聖書に基づくのとは違うやり方で学問していくと、何はともあれまずアリストテレスが典拠になるということのようですね)

 

普遍論争 (平凡社ライブラリー630)

普遍論争 (平凡社ライブラリー630)

 

 

そういう本を読む中で、アリストテレスが何を言っているか、というのについては、とりあえず細かいことは置いておいて、キーワードで、ある意味倫理の教科書的に押さえておかないと、スコラ哲学の話しを読んでも全然理解が深まらないなと思いました。

そこで、いくつか暗記でぱっと出てくるべきことを列挙しようかなと。

ただ、どちらかというと、アリストテレスそのものが目的というよりは、他の哲学の前提というつもりでいるので、他の哲学の紛らわしい用語とか、前後(といってもほとんど「後」ですかね)関係に留意して整理してみようと思います。

ソースは手元の本と出来るだけスタンフォード哲学辞典、自明な話しなんかはwikipedia(邦訳とあとは各国の説明が使えるので)を使っていこうと思います。大枠が出来たら、各大学からのPDFから引用なんかもしていこうかなと。

参考文献

 

語源から哲学がわかる事典

語源から哲学がわかる事典

  • 作者:山口 裕之
  • 発売日: 2019/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

複数の哲学をクロスさせて読むとき、そもそも翻訳だけで読んでいると混乱するということが非常に頻繁にあります。

ロックの人間知性論とカントの悟性って同じ?違う?みたいなことですね。この本はそういうことに留意して、源流(多くの場合はギリシア哲学)までさかのぼって、非常に丁寧に説明してくれています。

白眉というか一番目鱗だったのは、まさに上の、知性をめぐる翻訳ですね。